8月の歳時記
富士宮 夏祭り
お祭りが盛んな富士宮市は少し前まではバラバラに行われていた3つのお祭りの日程を合わせ、浅間大社の起点に8月の第1週に行われます。
毎年8月第一金、土、日曜日
富士宮本町商店街振興組合が主催する「マイロード本町七夕まつり」 そうです!
望幸のある通りになります!
七夕かざりが交通規制で歩行者天国となった本町通りを埋め尽くすようみ飾られています。
その会場を彩るお飾りは、商店街の各お店がその年に流行ったものなどをリサーチしながら作るものから、市内8つの幼稚園・保育園の園児さんにもお願いし作ってもらっています。
いろとりどりに飾られた七夕飾りにはたくさんの思いが思っています。
また、商店街の各お店で考えた出店が軒先きで出店され、歩いているだけでとても楽しい気分になりますよ。
たくさんの子供が参加できるイベントとして『ハイハイレース』、『ヨチヨチレース』、『チビッ子ヨーイドン』などを企画しています。
望幸でも飾りは社長をはじめ会議に会議を重ね、リサーチし、より子供さんに喜んでもらえるものを!
そして望幸がだす出店もスタッフ一同皆さんに楽しんで!
喜んでもらえるものを考え、今年の七夕祭りを迎えます!
どうぞ望幸にお立ち寄りください!
↑2018年の七夕まつりの様子です
毎年8月第一土曜日
昭和54年、富士宮青年会議所により富士宮夏まつり「太鼓と踊りと民謡で」として計画実施され、翌昭和55年、市民のアイディアから生まれたお祭りとして、「富士山御神火まつり」は誕生しました。
その後、富士山頂にある富士山本宮浅間大社奥宮(おくみや)での御神火祭採火式や市街地パレードなどが順次導入され、昭和59年からは神輿(みこし)に御神火を点火し、市内の商店街を練り廻し最後に神田川の水流を遡る、いわゆる神田川昇りを行うという現在のスタイルが出来上がりました。
神田川は富士山本宮浅間大社内にある湧玉池に源し、南へ流れています。
湧玉の池は、富士山の雪解け水がおよそ15年かかって麓に湧き出た清水であって、夏冬通して水温は常に約13度であるため、神田川を流れるこの水も真夏のこの時期にでも身体がかじかむような冷たさである。
この中を神輿を担ぎながら遡る姿は本当に勇壮であります。
発足当時は2基だった神輿は現在8基となりました。神輿の重さは800キログラムから1トンほどあり、それを数十人の若者がかつぎ、威勢のよい声を上げながら、神社に奉納します。
神輿やパレード以外にも、多くの皆さんが富士山御神火音頭を始めとする民踊を楽しみ、まつりを盛り上げます。
毎年8月第一日曜日
平成4年に富士宮市 市制施行50周年を記念してラッキィ池田氏の振り付けによって創られた『宮おどり』と『新富士宮音頭』平成24年(2012)より加わった「芝川おどり」を市民など6000人が参加し、毎年8月第一日曜日に富士山本宮浅間大社を中心に市街地目抜き通りで盛大に踊ります。
この宮踊りには市内の小中学校も参加し、仕上げての総踊りとなっています。
マイロード本町「七夕祭り」
毎年8月第一金、土、日曜日
富士宮本町商店街振興組合が主催する「マイロード本町七夕まつり」 そうです!
望幸のある通りになります!
七夕かざりが交通規制で歩行者天国となった本町通りを埋め尽くすようみ飾られています。
その会場を彩るお飾りは、商店街の各お店がその年に流行ったものなどをリサーチしながら作るものから、市内8つの幼稚園・保育園の園児さんにもお願いし作ってもらっています。
いろとりどりに飾られた七夕飾りにはたくさんの思いが思っています。
また、商店街の各お店で考えた出店が軒先きで出店され、歩いているだけでとても楽しい気分になりますよ。
たくさんの子供が参加できるイベントとして『ハイハイレース』、『ヨチヨチレース』、『チビッ子ヨーイドン』などを企画しています。
望幸でも飾りは社長をはじめ会議に会議を重ね、リサーチし、より子供さんに喜んでもらえるものを!
そして望幸がだす出店もスタッフ一同皆さんに楽しんで!
喜んでもらえるものを考え、今年の七夕祭りを迎えます!
どうぞ望幸にお立ち寄りください!
↑2018年の七夕まつりの様子です
御神火祭り
毎年8月第一土曜日
昭和54年、富士宮青年会議所により富士宮夏まつり「太鼓と踊りと民謡で」として計画実施され、翌昭和55年、市民のアイディアから生まれたお祭りとして、「富士山御神火まつり」は誕生しました。
その後、富士山頂にある富士山本宮浅間大社奥宮(おくみや)での御神火祭採火式や市街地パレードなどが順次導入され、昭和59年からは神輿(みこし)に御神火を点火し、市内の商店街を練り廻し最後に神田川の水流を遡る、いわゆる神田川昇りを行うという現在のスタイルが出来上がりました。
神田川は富士山本宮浅間大社内にある湧玉池に源し、南へ流れています。
湧玉の池は、富士山の雪解け水がおよそ15年かかって麓に湧き出た清水であって、夏冬通して水温は常に約13度であるため、神田川を流れるこの水も真夏のこの時期にでも身体がかじかむような冷たさである。
この中を神輿を担ぎながら遡る姿は本当に勇壮であります。
発足当時は2基だった神輿は現在8基となりました。神輿の重さは800キログラムから1トンほどあり、それを数十人の若者がかつぎ、威勢のよい声を上げながら、神社に奉納します。
神輿やパレード以外にも、多くの皆さんが富士山御神火音頭を始めとする民踊を楽しみ、まつりを盛り上げます。
宮踊り
毎年8月第一日曜日
平成4年に富士宮市 市制施行50周年を記念してラッキィ池田氏の振り付けによって創られた『宮おどり』と『新富士宮音頭』平成24年(2012)より加わった「芝川おどり」を市民など6000人が参加し、毎年8月第一日曜日に富士山本宮浅間大社を中心に市街地目抜き通りで盛大に踊ります。
この宮踊りには市内の小中学校も参加し、仕上げての総踊りとなっています。
お盆
お盆の時期には先祖が浄土から地上に戻ってくると考えられています。
ご先祖様を1年に1回、家にお迎えしともにひと時を過ごして、ご冥福をお祈りし、先祖の霊を供養します。地域によってお盆の期間は異なりっているようですが、旧暦と新暦によって7月15日前後か8月15日前後に大きく分かれます。全国的にもっとも多いのは、8月13日から4日間の期間を指すものであるといわれています。
初めて迎えるお盆を新盆または初盆といい、普段以上に厚くもてなします。知人を呼んで法事を行う場合もあります。
お盆は地方や宗派によって風習が大きく異なるるようですね。一般的には13日に迎え火を焚いてお迎えし、16日の送り火であの世にお送りします。その期間には、お墓参りをしたりお供えをしたりします。
迎え火も、玄関先で炊く地域とお墓で炊く地域があるようです。
地域によっては、先祖の霊を供養するという意味のもと、様々な風習が今も残っています。
以前、旅行に行った先でお墓で花火を上げているのを見て、少し驚いた事があります。
望幸がある富士宮では、お仏壇には胡瓜の馬と茄子の牛を飾り、13日に迎え火を炊き16日に送り火を玄関先で炊くのが一般的のようです
ご先祖様を1年に1回、家にお迎えしともにひと時を過ごして、ご冥福をお祈りし、先祖の霊を供養します。地域によってお盆の期間は異なりっているようですが、旧暦と新暦によって7月15日前後か8月15日前後に大きく分かれます。全国的にもっとも多いのは、8月13日から4日間の期間を指すものであるといわれています。
初めて迎えるお盆を新盆または初盆といい、普段以上に厚くもてなします。知人を呼んで法事を行う場合もあります。
お盆は地方や宗派によって風習が大きく異なるるようですね。一般的には13日に迎え火を焚いてお迎えし、16日の送り火であの世にお送りします。その期間には、お墓参りをしたりお供えをしたりします。
迎え火も、玄関先で炊く地域とお墓で炊く地域があるようです。
地域によっては、先祖の霊を供養するという意味のもと、様々な風習が今も残っています。
以前、旅行に行った先でお墓で花火を上げているのを見て、少し驚いた事があります。
望幸がある富士宮では、お仏壇には胡瓜の馬と茄子の牛を飾り、13日に迎え火を炊き16日に送り火を玄関先で炊くのが一般的のようです
七夕
七夕と言えば、織姫と彦星の物語を思い浮かべる人も多いとおもいます。
琴座のベガと呼ばれる織女(しょくじょ)星は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星とされています。
この二つの星が旧暦7月7日前後に美しく輝く事から中国でこの日を一年一度のめぐりあいの日と考え、七夕の話が出来たようです。
中国では七夕だったの話にちなんで「乞巧奠」(きっこうでん)という行事があるそうです。「乞」は願う、「巧」は巧みに上達する、「奠」はまつるという意味で、織姫にあやかり機織りの技が上手くなるように、ひいては様々な手習いごとの上達を願う行事です。
「乞巧奠」が奈良時代の遣唐使によって伝わり、宮中行事として取り入れられるようになりました。
江戸時代になり、幕府が五節句の一つとし庶民にひろがりました。
短冊に願い事を書くのは日本だけで主に芸事の上達を願ったのが始まりだそうです。
望幸のある富士宮では旧暦のため8月に七夕を行いますが、この日は、富士山御神火祭も行われ大変賑やかです。
琴座のベガと呼ばれる織女(しょくじょ)星は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星とされています。
この二つの星が旧暦7月7日前後に美しく輝く事から中国でこの日を一年一度のめぐりあいの日と考え、七夕の話が出来たようです。
中国では七夕だったの話にちなんで「乞巧奠」(きっこうでん)という行事があるそうです。「乞」は願う、「巧」は巧みに上達する、「奠」はまつるという意味で、織姫にあやかり機織りの技が上手くなるように、ひいては様々な手習いごとの上達を願う行事です。
「乞巧奠」が奈良時代の遣唐使によって伝わり、宮中行事として取り入れられるようになりました。
江戸時代になり、幕府が五節句の一つとし庶民にひろがりました。
短冊に願い事を書くのは日本だけで主に芸事の上達を願ったのが始まりだそうです。
望幸のある富士宮では旧暦のため8月に七夕を行いますが、この日は、富士山御神火祭も行われ大変賑やかです。