このページを編集する

静岡県富士宮市を中心に手作りの温もりを大切にする、布と学生服の店|望幸

お問い合わせは電話番号0544264153までお願いいたします。

7月の歳時記

| 1月  | 2月  |  3月  4月  |  5月 |  6月 |  7月 |  8月 |  9月 |  10月 |  11月 |  12月 
7月の歳時記

お田植え祭

7月7日 午後1時 (浅間大社 拝殿) 
午後2時30分(神田宮)

お田植え祭は、富士山よりの湧水への感謝と五穀豊穣を祈る祭りです。
浅間大社本宮の祭典後、神田の宮で古式ゆかしい御田植神事と早乙女による田植唄と舞が奉納されます。

201978_190708_0005.jpg

神田宮は、望幸のある本町通りを西に歩いて5分程の所にあります。
地元の人でも通りすぎそうなお宮に小さな田があり、湧水を汲みに来る人も多い様です。

201978_190708_0007.jpg
望幸は富士山のふもと 富士宮市にございます!
朝 富士山を眺め、そして富士山で四季を感じ、天候を予想し、そして目印に動きます!
そんな富士山 一年中 登山ができるわけではありません!
現在、富士山とその周辺の施設(浅間大社本宮・奥宮、湧玉池など)は、世界文化遺産に登録されています。

富士山開山について

毎年富士山頂には7・8月で約30万人もの登拝者が訪れ賑わいます。
高齢者の方の登拝も多く、誰でも気軽に登れる山として親しまれいます。
富士山頂に富士山頂上浅間大社奥宮(せんげんたいしゃおくみや)があるのはご存知ですか?
富士山は国立公園として国有地とされていますが、あまり知られていないことに富士山の8合目から上は富士山頂上浅間大社の所有する奥宮境内地となっています。

静岡県富士宮市に所在する本宮浅間大社の本殿自体が徳川家康の寄進によって造営されたものですが、同様に富士山山頂部の支配を江戸幕府から認められていたそうです。
その後、一時国有化されていた時期がありますが、近年の裁判を経て、2004年に浅間大社に返還されたという経緯になっています。
表口(富士宮口)から上りつめたところの山頂に鎮座する富士山頂上浅間大社奥宮は、御祭神は浅間大神(木花之佐久夜毘売命)を主祭神とし、相殿神として父神大山祇神、背の君瓊々杵尊を祀っています。
7・8月の開山期には、神職が山頂に奉仕し、国家安泰、氏子・崇敬者・登拝者の安全を祈念するほか、家内安全等の諸祈願、結婚式の奉仕、お札・お守りの授与、金剛杖・行衣等の御朱印の授与も行っています。
開山期中は、神職が常駐して祭典、挙式、祈祷、お札・お守り・縁起物・朱印の授与等などを行っています。
ぜひ、登山した際には寄ってみたらいいかもしれないですね。
そして、富士宮市では、開山を祝い「富士山まつり」として様々な行事が賑やかに行なわれます。
今回は開山祭についてご紹介いたします。

開山祭

7月10日 富士登山の幕開けを告げる一日です。
富士山本宮浅間大社において 富士山山開きにあたり、安全を祈願する祭りが行われます。
一日かけて行われるこのお祭りは、富士山本宮浅間大社〜村山浅間神社に行き、また富士山本宮浅間大社に戻るという一日かけ安全祈願を行う習わしとなっています。
まず朝の8:10ごろから
大金剛杖パレード→富士山まつり開幕宣言→1番バス・安全者等登山祈願→山岳救助隊夏山救助開始式
→湧水献上→開山式典
祭典終了後、湧水献上、山岳救助隊出発式、日英親善交流会、村山浅間神社等において開山式が行われます。

村山浅間神社においては
みそぎ→正式参拝→富士山入山式→護摩焚き神事などが行われます。

(雑学!村山浅間神社とは
大宮・村山口登山道は、富士山本宮浅間大社を起点とし、村山浅間神社を経て山頂の南側に至る古い登山道があります。
山を信仰する者の修行の場であり、かつての村山登山道の基点でもあった神社です。
境内には、神仏習合の習わしとして浅間神社とともに大日堂が祀られており、修験者による信仰の歴史を伝承しています。
境内には、静岡県指定天然記念物の大スギとイチョウがあります。)


そして開山祭のフィナーレとして富士開山奉納手筒花火は浅間大社 神田川ふれあい広場で行われます。
拝殿で参拝し忌火を戴いたのち、白糸原手筒花火保存会によって奉納されます。

花火大会

夏といえばお祭り!そして花火大会…
ゆかたを着て、お出掛けする 
花火の見える場所に沿わってビールを飲む…
夏の風物詩の花火大会
そんな様子を思い出します。

望幸のある富士宮付近では各地で様々な花火大会が開催されます
イベントについてこちらにまとめました→

2019年の夏祭りスケジュール

南部の火祭り(山梨県南部町)

8月15日に行われる夏の一大風物詩「南部の火祭り」は盆の送り火と川供養の奇祭であると同時に稲を病害虫から守るための虫送りの意味も込められていると云います。
オープニングを飾る「投げ松明(なげたいまつ)」、「大松明(おおたいまつ)」の炎が仏様の道明かりとなり「灯篭流し(とうろうながし)」が厳かに行われます。
一斉に点火される「百八たい(ひゃくはったい)」が富士川の両岸で燃え上がると、祭りはクライマックスを迎えます。

●火祭りの由来

火祭りは文字通り火を焚く祭りで、毎年8月16日の盆の送り火や川施餓鬼(川で溺れた人の霊を供養したり、川でとれた魚介類の霊を祭る行事)として行われてきた荘厳な儀式であったと同時に、稲作を病虫害から守るための虫送り行事を兼ねたものであると伝えられている。
この祭りの起源は定かではないが、舟運のさかんになった江戸中期の元禄時代頃からであろうと推定され、かつては富士川下流域の各地で行われていた行事であったが、今では殆ど影をひそめ、今は伝統行事として大規模に伝承されているのはこの「南部の火祭り」だけである。

●投げ松明(なげたいまつ)

「蜂の巣」と呼ばれる麦わらであんだ籠を載せた、高さ10数メートルもする竿を川原に立て、夕方日没になると、手に手に松明をもって集まった子供達が、投げ入れの合図とともに、点火した松明を片手でクルクルと回しながら、頭上の蜂の巣目がけて投げ合うのが投松明(なげたいまつ)である。
うまく松明が命中すると、蜂の巣が天空で火の塊となって燃え上がり、燃えつきたあと、竿を揺さぶると、あたかもクス玉を割ったように火の粉が折からの風にのって飛び散っていく様はまことに見事である。
投松明や百八たいの焔は、仏さまが迷わないための道明かりを意味すると言われている。

●大松明(おおたいまつ)

大松明は町内各寺院から古くなった塔婆を集め、積み重ねて山となし、大松明に仕上げたものである。
僧侶による読経のなか、点火され、煌々と照らす塔婆の炎と低く流れる読経が闇の川辺に幽玄な響きをもたらしていく。

●百八たい(ひゃくはったい)

百八たいはもともと仏教の「百八煩悩を絶つ」ということに由来しているといわれ、富士川の両岸約2キロメートルに百八つ、円錐形のたき木の山を作る。
夜8時、富士川原に静寂が戻ると、一斉に点火され、百八つのかがり火は一度に燃え上がり、川原は勿論のこと、近くの山や空も真赤に染めて、焔は川面に映り、2倍の焔となって辺りを火の海の饗宴に包んでいく。
折から打ち上げ花火の連発と相まって、天と地も絢爛豪華に彩られていく。

イベントの様子が温もりブログでも紹介されてます!