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静岡県富士宮市を中心に手作りの温もりを大切にする、布と学生服の店|望幸

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温もりブログ

祝 卒業式!3月1日は静岡県公立高校の卒業式。学校制服からも卒業。小学生も今 卒業式に袴を着るのが流行中。袴の歴史って…本当にご卒業 おめでとうございます。
2019年03月01日 入学・入園  手作り小物 
今日 3月1日 静岡県の公立高校では卒業式が執り行われています(富士宮西高校は2日)
三年前、望幸に制服を注文してくださるため、採寸に訪れてくれたみなさんが本日卒業を迎えると思うと、
なにか感慨深いものがあります。
ご家族の皆様はもっと深い思いがあることでしょう。
今日 卒業を迎える皆様 ご家族様 本当におめでとうございます。

何年間か袖をとおした学校制服ともお別れする日でもあります。
ほとんどの方が学校制服からも卒業されるのではないのでしょうか?
最後の制服Lifeも楽しんでくださいね!

昨日 静岡のニュースで小学生の卒業式に袴を着られる子が増えているという報道がされていました。
当店にも袴をレンタルされるお客様が来店されています。
私も何十年か前 はるか昔…大学の卒業式に袴を着て列席したのを思い出します!
そして私の袴のイメージは大和和紀さんが書かれていた漫画「はいからさんが通る」の紅緒さんです。紫の矢絣のきものに袴姿。
大正時代のの女子学生です
それではどうして卒業式に袴をはくようになったのでしょうか?
袴の歴史を調べてみたいと思います。

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袴の歴史が実は古い!

袴の歴史は実はとても古く、古墳時代には埴輪に見られるように太いズボンのような袴を身につけていました。
平安時代になると、宮廷などで高い身分の女性たちが袴を履くようになりました。
それから武家社会では武士の礼服として着られましたが、江戸時代になり、身分や性別によって厳しく、身なりが定められ、女性たちは袴を身につけることが禁じられていきました。


女子学生=袴 それまでの道のりがけっこう長かった

今のように、女子学生が袴をはくようになったのは明治のはじめ頃。
ただし、明治初期に女子教育の黎明期を迎えた頃、東京女学校や東京女子師範学校などが相次いで創立され、女子生徒たちにどのような服装をさせるかが議論となったのです。
当時の学校は、いすに座って授業を受ける欧米式。従来の着物に帯というスタイルでは、帯や裾が乱れやすいという問題がでてきました。
そのため、政府はこの時代としては例外的に女学生に男袴の着用を認めました。政府が決める!歴史を感じます。
当時は、袴は男性用とされており、宮中以外の女性が身につけることはなかったのです。今では女性の服装としてなじみの深い袴なのに、驚きですね……!

女学生の制服が本格的に袴に変わっていったのは、今から約130年前の1889(明治22)年頃。
学習院女子部の前身である「華族女学校」創設者の下田歌子によって、新しい形の袴が考案されました。
股が左右に分かれていない、すとんとしたロングスカート式で「 行灯袴(あんどんばかま)」「女袴」と呼ばれました。
華族女学校をはじめとした、宮中や大奥にゆかりのある「上流階級の子女が通う学校の制服」として導入され、
次第に一般の女学校に広まり、袴=女学生のイメージが定着していったのです。

なぜ「袴」が制服として普及していったのでしょうか? それは、袴が「優美さ」と「機能性」を兼ね備えた服装だったからなんです!
平安時代には、宮中の高貴な女性のみが袴を着ることができたという歴史もあり、明治時代でもすでに、袴には貴族的なイメージがありました。
やはり昔ながらの着物に帯というスタイルでは、帯や裾が乱れやすく、学業や運動に支障をきたこともあり、着物だと裾の乱れが気になり、運動ができなかったのです。
そこで脚さばきなどの点で、着物よりもはるかに動きやすい袴が採用されたのです脚さばきなどの点で、着物よりもはるかに動きやすい袴が採用されたのです。
行灯袴は自転車に乗っても裾が乱れないことも、当時としては画期的で採用された理由でもありました。


明治・大正の袴トレンドは、大きなリボンと海老茶色の袴。新しい時代の象徴だった

明治30年当時の女学生スタイルは、まさに「はいからさんが通る」
海老茶色の袴、革靴、庇(ひさし)髪に大きなリボンをつける…そんなスタイルでした。
また、腰ひもを胸高にしめたり、裾を短く最新流行のブーツを見せたり、自分でおしゃれにアレンジできるようにもなりました。
この時代になり、彼女たちは、袴姿で颯爽と歩き、自転車に乗ったりテニスをしたりと、江戸期のしっとりとした女性像とは様変わりしました。
活動的で生き生きとした袴姿の女性たちは、新しい時代を生きる女性の象徴になり、彼女たちは紫式部になぞらえて「海老茶式部」と呼ばれることもありました。


卒業式にはやっぱり袴

大正、昭和と時代が流れるうちに、和服から洋服 制服はセーラー服など変化していき、袴は日常社会からは姿を消しました。
しかしながら歴史があり、優美な袴は、学校の正式な行事である卒業式の礼装として残り、親御さんたちは袴を着て卒業式に出席させたいという思いがありました。
また、テレビでも言っていましたが、映画や漫画で流行った「ちはやふる」を見て袴にあこがれ、着てみたいというお子さんも増えていったようです。
日本の伝統的な服装であり、新しい時代を生きる女性の象徴だった「袴」を現在も引き継ぐことは、とても素敵だと思いませんか?


今回袴を調べようと思ったのをきっかけに ドールサイズの振袖と袴を作ってみました。
ブログで作り方をご紹介していきたいと思っています!
乞うご期待!

タグ: 富士宮  静岡  公立高校  卒業式  学校制服  卒業    歴史  はいからさん